#3 壁に耳あり、障子にサク婆
外に出て、思わず目を細める。
ひゃあ、お天気が目にしみる。
深呼吸ひとつ。
なんとなく春の匂いがするような風。
ああ、ええ気持ちやなぁ。
ほな、行こかぁ
とアルミの門をあけかけた手がふと止まる。
耳に届いたザッザッザッと言う音。
こ、これは、もしかして。
門から顔だけ、ちょっとだけ出して、覗く。
やっぱり・・・
隣の家の前には、ザッザッザッと規則正しい音で道を掃いてるサク婆の姿。
パリッと糊のきいた真っ白な割烹着。
サク婆って割烹着、何枚持ってんねんやろ。
いつ見ても、しわ一つないシャンとした割烹着。
そんなん着てるから、サク婆が80という歳とは思えんほどいつもシャッキリ見えんのか、サク婆が着るから割烹着もシャッキリするんか。
サク婆の周りにはいつも掃除したての空手道場のような空気が漂ってる。
それにしても、いつもはこの時間にはもう道は掃き終わってるはずやのに、あたしを待ち構えてたに違いない。
昨日の夜中のオカンの大声で、またサク婆を起こしてもうたかな。
またお目玉くらうかもなぁ、
かなんなぁ。
と言うて、散歩に行かんわけにはいかんしなぁ。
ここは、上手いことかわすしかないか。
ほな行くで、ハチ
とカチャンと門を出る。
「サク婆、おはよう。ええお天気やね。」
やましいことの微塵もない、歌のおねえさんのようにさわやかに声をかけて通りぬけようとしたけど・・・
甘かったね。
敵もさるもの。
「月ちゃん。
昨日、陽ちゃんは何時に帰ってきたんや。」
びっくりするほど素早く前に廻りこんだサク婆にきかれた。
「ええっと、
1時ごろやったかなぁ?」
ほんまにあんまり覚えてないあたしがウロウロ答える。
「1時ってことないで。
2時はとうに過ぎとった。」
知ってるんやったら、聞きないな・・・・
とは、もちろん言えず。
何せ、うちの大家さんでもあり、町内大会長でもあるサク婆。
この間、オカンが酔っ払って電柱に登って本人曰く、ミンミン蝉の初物サービスっていうのをした時には、向こう半年、毎日ごみ置き場の掃除の罰ゲームを言い渡された我が家。
ここは穏便にね、穏便に。
「うるさかった?すんません。」
直ちに最敬礼でお辞儀。
しわに縁取られた大きな目をちょっとすがめて、サク婆はフンと息をつく。
お、罰ゲームは逃れたかな。
「ほんで、あれは誰や?」
「あれって?」
「陽ちゃん、誰かと一緒やったんとちゃうんか?」
げ、
そんな事までばれてやんの。
壁に耳あり、障子にサク婆ありやな。
「ああ、なんか、飲み屋ででも知り合うた人が送ってくれたんとちゃうかな。」
「・・・ほんで?」
ぐいっと寄ってきたサク婆、迫力のアップ。
「ほんでって。あたしもよう知らんねん。」
これはほんまやもん。
て言うか、知らん上に、それは赤いシャツにリーゼントの何やチンピラみたいなオニイチャンですとは、よう言わん。
これ以上つっこまれたどうしょうと思うたら、むっちゃええタイミングで、しびれ切らしたハチがあたしのジャージの裾にとびついた。
ねえちゃん、早う行こう
と、ウルウル見上げるハチの目。
さすが我が愛犬、ええ働きしてくれるやないのっ。
「あ、サク婆、ごめん。
ハチ、もう辛抱ならんみたい。
また後でね。」
まだまだ色々聞きたそうな表情のサク婆の横をすりぬける。
サク婆の視線をまだ背中に感じながら角を曲がる。
あぶない、あぶない。
まさかサク婆、追っかけては来えへんやろうけど、いつもより小走りに、少しゆるい坂をのぼってく。
右手にはまた最近できた新しい建売住宅の玄関がならんでる。
うちの家とはちがう今風の洋菓子のような家。
まだ真っ白な壁。
オレンジ色の屋根。
白抜きで番地が書かれたアメリカの映画に出てくるような赤い郵便受けが並んでる。
ここも昔は田んぼやったなぁ。
ちいちゃい時はオモチャのバケツ持って、ペタペタ裸足であっちの田んぼ、こっちの池と歩きまわってたなぁ。
いつやったっけ。
駅前に大手のスーパーのチェーンの会社の本社ができた。
それからはあっと言う間やった。
スーパーが2件も出来て、コンビニまで出来て、市場がなくなった。
マンションが出来て、菜の花畑がなくなった。
おたまじゃくしの池が埋められて駐車場になった。
どれも変わってしもた時は、あれって立ち止まったけど、そのうち新しい風景になれてく。
こうやって色んなことを忘れたり、慣れたりして、時間というもんは過ぎていくんやろか。
道をはさんで向かいの田んぼの柵によいしょっと腰掛ける。
ねぇちゃん、早う早うとジタバタしてるハチの首輪から散歩ひもを外してやる。
すごい勢いで駆けてくハチが、あっと言う間に田んぼの隅の点になる。
この田んぼは同じ町内のおじいさんとおばあさんが持ってはる田んぼ。
二人そろって大の犬好きで、たまたまハチの散歩と出くわしたりすると、可愛い子やと言いながら、ハチが道路にとけてしもたようになるほど、なでてくれはる。
前に二人が飼ってた犬もハチと同じ、真っ黒な犬やってんて。
はっちゃんを見てるとクロベを思い出すわ
と、おばあちゃんは時々、目が潤みはることもある。
もう犬は飼いはれへんのですか?
と一回きいたことがある。
おじいさん。
ちょっと遠い目で
「もう見送りたないからなぁ。」
と言いはった。
その横でおばあさんが、笑顔やのになんや淋しい目して頷いてはった。
その二人が折角の散歩やのに、ずっと繋がれてたら可哀想や、はっちゃんには、うちの田んぼで、のびのび走りまわらせてあげてと言うてくれはった。
田植えが始まるまでのハチ専用の運動場。
思い切りぐんるぐんる走りまわった後は、あっちこっち匂いをふんふん嗅いでまわったり、あんた、どっかに突き抜けんでってぐらい一心不乱で掘った穴に鼻面をつっこんだり。
せわしない子や。
ほんでも、時々、ふと振り返って、あたしがここにおんのを確かめるハチ。
ねえちゃん、
ちゃんとそこにおってな。
僕の遊ぶの見とってなっ
て言うみたいに。
遠くのハチに見えてるんか、見えてへんのかわからんけど笑いかけてみる。
ちょっと小さく手を上げて。
あたしはちゃんとここにおるよ。
くっきり晴れたお天気やけど、田んぼの土はずっぼり湿ってて、ところどころに水もたまってる。
まだ昨日の雨の匂いがする。
田んぼから立ち上るどろんこの匂いを吸い込む。
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