ココログ小説

#1 捨て男

ある晩オカンが男を拾てきた。

春の雨ふる夜中。
あたしが目を覚ます前に、オカンの帰ってきた気配に、横で寝てたハチが飛び起きて、急いで廊下を走っていった。
床にあたるハチの爪が立てるチャカチャカという音が遠くなってくのんを、あたしはうっつらした頭で聞いてた。
ざあざあと部屋の中にまで入り込んでくる雨の気配。
寝る前はそんなに強い雨やなかったのに。

かなんなぁ、オカン、
べろんべろんとちゃうか。
きっと明日の朝、
あ、もう今日の朝か、しじみのお味噌汁食べたい
と、うるさいに違いない。

オカンの二日酔いの朝の定番。

良かった。
しじみ買うてあって。
しばらくなかったけど、そろそろ酔っ払って帰ってくるころかなって思たのよね。
できたムスメじゃ。

つらつらとそんな事を半分起きて半分まだ眠った頭で考えてたら、オカンの大声。

「月ちゃん、ただいまぁ。
お土産があるぞい。起きといでぇぇぇ。」

誰が起きるかいな。
とっとと水でも飲んで寝床に入っておくれ。
あたしはオカンと違うて夜型やないのよ。
ううんと掛け布団を引き上げて、ドアに背をむける。

「おおーい、娘よ、
起っきれーい。」

更にでっかなる声。
あかん、あかん。
この間も酔っ払って騒いで、隣のサク婆にお灸すえられたとこやのに。
また罰ゲームでうちの町内分担が増えてまう。

はいよ、はいよ、
今参りますがな。

素足で歩くヒンヤリした廊下。
ペタペタペタ。

もう春やと思うたけど、足の裏には冬の名残がしみてくる。
夜はまだまだ冷え込むんや。
玄関でそのまま寝てもうたりして、風邪ひかれても、かなんし。

廊下から玄関に出る暖簾をくぐる。
そこには特上機嫌のオカン。
陽子という名前のとおり、あったかい陽だまりのようなその笑顔。
オカンの性格そのまんまに、好き勝手にあっちにこっちに向いてるクルクルの天パの髪。
その髪に、雨のしずくがとまってる。
きかん気そうなキリッとした眉毛と、その下できらきらしてる黒目がちの子犬みたいな目。
別嬪さんというのとは、またちゃうねんけど、人の目をひかずにはおれんその面差し。

黙ってても、心の強さがにじみ出てくるような。
こういう人を魅力的って言うんやろうなあと、ベロンベロンのオカンを見て、場にそぐわんことを思うあたし。
これやからマザコンやってよう言われるんやろか。
しゃあないやん。
オカンのこと好きやねんもん。

その、娘曰く魅力的にベロンベロンのオカンの足元に、うずくまる男。

これ、誰?

「これ、誰?」

ハテナがそのまま口に出る。

「さっきから言うてるやあん。
おぉみぃやぁげぇぇぇぇ。」

オカンの髪からハラハラと散る雨のしずく。

はぁ? 
おみやげ?

「拾てん。
捨て男やねんて。
この人。」

はぁぁ? 
拾たって、捨て男って、また、おかしなことを。

「ほんでな、
お母さん、
この人と結婚することにしたから。」

はぁぁぁ? 
何ですと?
ちょっと待ったりいな

と、つっこむ前に、後はよろしくぅとか、おやすみぃぃぃとかムニャムニャ言いながら、オカン、玄関にバタンと倒れて沈没。

後はよろしくって、何をどうよろしくすんねんな、この状況で。

静かになった玄関にひびくオカンと、叩きに寝っ転がる捨て男なる男の鼾の二重奏。
さっきより強なったような気がする雨の音がそれに重なる。

ザアザアザア。

かなんなぁ。
なぁ、ハチどないしょう。
何か難儀なことになりそうや。

足元のハチに目で問いかける。

腕組みするあたしの横で、ハチも小首をかしげてた。

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#2 まだ、おったん?

よく朝、雨戸を開けたら外は快晴!
ビュウティホー・サンデイッ!
あの雨はほんまやったんかなぁって思うぐらい。
昨日の夜中のことも夢のような気がする。

玄関で眠ってしもうたオカンを引きずるようにして、とりあえず、布団の中にほりこんだ。
上がり框で団子虫のように丸まってた捨て男には、毛布だけひっかけといた。

夜中に変に起きたせいか、あたしまで二日酔いみたいに頭がぼうっとする。

あたしの起きるんを待ち構えてたハチを足元にまとわりつかせながら、トントンと階段をおりる。
暖簾越しに玄関をのぞく。
いつもの玄関。
上がり框に捨て男にかけた毛布がキチンと畳んでおかれてる。
よかった、捨て男は帰ったんやね。

台所に入って冷蔵庫からキンキンに冷えた牛乳を出す。
一口ですっきりせえへん頭がキインとなる。
フゥ。

ねぇちゃん、
早うお散歩行こ、
お散歩。

ちぎれてまいそうに尻尾をぶんぶん振りもって、ハチがあたしを見上げてる。
どんな時もお散歩とあたしが大好きなハチ。
ゆるぎない愛がくれるゆるぎない幸せな気持ち。
心があったかくほどける一瞬。

よっしゃ、よっしゃ、
お散歩行こな

と、かがみこんで、ハチの顔を両手で包む。

ハチの身体のぬくもりと、ハチへの愛しさが、両手からあたしの身体いっぱいに広がる。

「おはようさん。」

ハチとのラブラブタイムに、いきなり割り込んできた声。
とびあがるみたいに振り返ったら、台所の入り口に立つ見知らぬ男。
ひいいいいっと思わずひきつけのような声が出かかったけど・・・

あんた、もしかして?
捨て男?
あんた、まだ、おったん?
昨日はオカンの足元に転がってたから、ようわからんかったけど、ごっつい格好やなぁ。 
テカテカのいかにも安もんそうな真っ赤なシャツ。
朝の台所では普通見かけん色彩。
そのシャツもごっつい濃けりゃ、また、顔も濃いなぁ。
ぶっとい眉毛にマッチ棒3本ぐらいのりそうな上下びしばしの睫毛。
濃いひげ。
それより何より、その頭。
何やのそれ?
今時、リーゼント?

「あ、もしかして見とれてる?」

昔のひげそりの宣伝みたいなポーズで捨て男がきく。
声までねちょいな。
ばったもんの郷ひろみみたいや。
きしょい、きしょい。
一番好かんタイプ。

「起きたんやったら、帰ってくださいね。」

朝から不機嫌な声出したら一日ゲンが悪いみたいで嫌やけど、しゃぁない。
台所の入り口に突っ立ってる捨て男の横をすりぬける。

散歩行くで、ハチ!
と、すたすた玄関に向かう。
玄関のたたきに転がってる男もんの靴。
真っ白のワニ革で先がとんがった革靴。

ひゃぁぁぁ、助けて。
リーゼントに、赤シャツに、白ワニの靴?
どこぞの安いチンピラか、一昔前のヤンキーか。
あぁ、きしょい、きしょい、きしょい。
あっちゃ、行け!
と、つま先で白ワニを蹴飛ばす。

あれ?
ハチがついて来てへん。

振り向いたら、あろうことか、ワフワフと床に転がって、捨て男にお腹なでてもうてるがな。

こら!
会うてすぐの人間に降参ポーズとるな、我が愛犬よ。
ねぇちゃんは情けない。

「ハチッ、散歩行けへんのっ。」

尖った声だしたら、やっと起き上がってかけてくる。
チャカチャカチャカ。

「戻ったらまた遊んだるからなあ。」

と追っかけてきた捨て男の図々しい声を断ち切るように、パシッと玄関を閉める。

あぁ、いやいやっ。

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#3 壁に耳あり、障子にサク婆

外に出て、思わず目を細める。

ひゃあ、お天気が目にしみる。

深呼吸ひとつ。
なんとなく春の匂いがするような風。

ああ、ええ気持ちやなぁ。
ほな、行こかぁ

とアルミの門をあけかけた手がふと止まる。
耳に届いたザッザッザッと言う音。

こ、これは、もしかして。
門から顔だけ、ちょっとだけ出して、覗く。

やっぱり・・・

隣の家の前には、ザッザッザッと規則正しい音で道を掃いてるサク婆の姿。
パリッと糊のきいた真っ白な割烹着。
サク婆って割烹着、何枚持ってんねんやろ。
いつ見ても、しわ一つないシャンとした割烹着。
そんなん着てるから、サク婆が80という歳とは思えんほどいつもシャッキリ見えんのか、サク婆が着るから割烹着もシャッキリするんか。
サク婆の周りにはいつも掃除したての空手道場のような空気が漂ってる。

それにしても、いつもはこの時間にはもう道は掃き終わってるはずやのに、あたしを待ち構えてたに違いない。
昨日の夜中のオカンの大声で、またサク婆を起こしてもうたかな。

またお目玉くらうかもなぁ、
かなんなぁ。
と言うて、散歩に行かんわけにはいかんしなぁ。
ここは、上手いことかわすしかないか。
ほな行くで、ハチ

とカチャンと門を出る。

「サク婆、おはよう。ええお天気やね。」

やましいことの微塵もない、歌のおねえさんのようにさわやかに声をかけて通りぬけようとしたけど・・・
甘かったね。
敵もさるもの。

「月ちゃん。
昨日、陽ちゃんは何時に帰ってきたんや。」

びっくりするほど素早く前に廻りこんだサク婆にきかれた。

「ええっと、
1時ごろやったかなぁ?」

ほんまにあんまり覚えてないあたしがウロウロ答える。

「1時ってことないで。
2時はとうに過ぎとった。」

知ってるんやったら、聞きないな・・・・
とは、もちろん言えず。

何せ、うちの大家さんでもあり、町内大会長でもあるサク婆。

この間、オカンが酔っ払って電柱に登って本人曰く、ミンミン蝉の初物サービスっていうのをした時には、向こう半年、毎日ごみ置き場の掃除の罰ゲームを言い渡された我が家。
ここは穏便にね、穏便に。

「うるさかった?すんません。」

直ちに最敬礼でお辞儀。
しわに縁取られた大きな目をちょっとすがめて、サク婆はフンと息をつく。
お、罰ゲームは逃れたかな。

「ほんで、あれは誰や?」

「あれって?」

「陽ちゃん、誰かと一緒やったんとちゃうんか?」

げ、
そんな事までばれてやんの。
壁に耳あり、障子にサク婆ありやな。

「ああ、なんか、飲み屋ででも知り合うた人が送ってくれたんとちゃうかな。」

「・・・ほんで?」

ぐいっと寄ってきたサク婆、迫力のアップ。

「ほんでって。あたしもよう知らんねん。」

これはほんまやもん。
て言うか、知らん上に、それは赤いシャツにリーゼントの何やチンピラみたいなオニイチャンですとは、よう言わん。
これ以上つっこまれたどうしょうと思うたら、むっちゃええタイミングで、しびれ切らしたハチがあたしのジャージの裾にとびついた。

ねえちゃん、早う行こう

と、ウルウル見上げるハチの目。
さすが我が愛犬、ええ働きしてくれるやないのっ。

「あ、サク婆、ごめん。
ハチ、もう辛抱ならんみたい。
また後でね。」

まだまだ色々聞きたそうな表情のサク婆の横をすりぬける。
サク婆の視線をまだ背中に感じながら角を曲がる。

あぶない、あぶない。

まさかサク婆、追っかけては来えへんやろうけど、いつもより小走りに、少しゆるい坂をのぼってく。
右手にはまた最近できた新しい建売住宅の玄関がならんでる。
うちの家とはちがう今風の洋菓子のような家。
まだ真っ白な壁。
オレンジ色の屋根。
白抜きで番地が書かれたアメリカの映画に出てくるような赤い郵便受けが並んでる。

ここも昔は田んぼやったなぁ。
ちいちゃい時はオモチャのバケツ持って、ペタペタ裸足であっちの田んぼ、こっちの池と歩きまわってたなぁ。
いつやったっけ。
駅前に大手のスーパーのチェーンの会社の本社ができた。
それからはあっと言う間やった。

スーパーが2件も出来て、コンビニまで出来て、市場がなくなった。
マンションが出来て、菜の花畑がなくなった。
おたまじゃくしの池が埋められて駐車場になった。
どれも変わってしもた時は、あれって立ち止まったけど、そのうち新しい風景になれてく。
こうやって色んなことを忘れたり、慣れたりして、時間というもんは過ぎていくんやろか。

道をはさんで向かいの田んぼの柵によいしょっと腰掛ける。
ねぇちゃん、早う早うとジタバタしてるハチの首輪から散歩ひもを外してやる。
すごい勢いで駆けてくハチが、あっと言う間に田んぼの隅の点になる。

この田んぼは同じ町内のおじいさんとおばあさんが持ってはる田んぼ。
二人そろって大の犬好きで、たまたまハチの散歩と出くわしたりすると、可愛い子やと言いながら、ハチが道路にとけてしもたようになるほど、なでてくれはる。

前に二人が飼ってた犬もハチと同じ、真っ黒な犬やってんて。

はっちゃんを見てるとクロベを思い出すわ

と、おばあちゃんは時々、目が潤みはることもある。

もう犬は飼いはれへんのですか?

と一回きいたことがある。
おじいさん。
ちょっと遠い目で

「もう見送りたないからなぁ。」

と言いはった。
その横でおばあさんが、笑顔やのになんや淋しい目して頷いてはった。

その二人が折角の散歩やのに、ずっと繋がれてたら可哀想や、はっちゃんには、うちの田んぼで、のびのび走りまわらせてあげてと言うてくれはった。

田植えが始まるまでのハチ専用の運動場。
思い切りぐんるぐんる走りまわった後は、あっちこっち匂いをふんふん嗅いでまわったり、あんた、どっかに突き抜けんでってぐらい一心不乱で掘った穴に鼻面をつっこんだり。
せわしない子や。

ほんでも、時々、ふと振り返って、あたしがここにおんのを確かめるハチ。

ねえちゃん、
ちゃんとそこにおってな。
僕の遊ぶの見とってなっ

て言うみたいに。

遠くのハチに見えてるんか、見えてへんのかわからんけど笑いかけてみる。
ちょっと小さく手を上げて。
あたしはちゃんとここにおるよ。

くっきり晴れたお天気やけど、田んぼの土はずっぼり湿ってて、ところどころに水もたまってる。
まだ昨日の雨の匂いがする。
田んぼから立ち上るどろんこの匂いを吸い込む。

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#4 会うことのなかった父

今まで酔っ払って色んなことがあったオカン。
でも男の人連れて帰ってきたことは、いっぺんも無かった。

しかも、何て言うた?
結婚するて?
ありえへん。

あたしが生まれるずっと前に死んでしもた父。
オカンの最愛の人。
オカンは、その時、まだ二十歳で、ほんでも、二十歳なりにいっちょまえの恋はしてきた・・・・と思うてた。
父と会うまでは。

父と出会うて、この人が好きやと思うた瞬間に心の中で地鳴りのような音がしてんて。
ズズズズズズズって。

どんどん湧き上がる気持ち。
自分の何もかもが竜巻にふかれて、どっか、ちゃうところへ運びさられるよう。
身体も魂も今までの自分までが、メキメキと音をたてて、なぎ倒されるよう。

その暴力的なまでの気持ちの渦に巻き込まれて、息もつかれへん自分。
この竜巻に比べたら、それまで自分が恋愛やと思うてたんは、ミズスマシが池につける輪っ子ぐらいのもんやったなぁと、オカンは目からウロコ落ちたらしい。

気の毒な元彼たちよ。
ミズスマシかよ。

で、竜巻にさらわれるように、オカンは父と結婚した。
初めて会うてから、半年もせんうちに。

何でそんなに急いんだんやろな。
その時にはふたりとも、まだ知らへんかったはずやのに。
父が結婚してから、ほんの三月後にこの世を去ってしまうことを。

一緒におれる時間がこわいほどに短いことを、二人の恋心の深い深いところが感じとったんやろか。
悲しい予感。
愛しい人と、ちょっとでも長く、ちょっとでも多く一緒にいようと呼び合うた心。

父が死んだ時、あたしはまだオカンのお腹の中で、オカンもあたしのおることを、まだ知らへんかった。
オカンの羊水の中でとっぷり眠ってたあたし。
 
そやのに不思議。

今でもハイライトの箱を見たら、泣きたいような気分になる。
ヘビースモーカーやった父が好きやった煙草。

さすがに入院してからは吸えへん・・・って言うか、吸われへんようになったけど、ほんでも、16の時からの連れみたいなもんやから、(父よ、ちなみにわが国では未成年の喫煙は禁じられてるんよ)見るだけで落ち着くんやと、病院のベッドの横のテーブルに置かれたライトブルーのパッケージ。

とうとう父の呼吸が止まった時、父の名前を何べんも、何べんも呼びながら、治ってまたパカパカ吸うたるって言うてたのにと、オカンの手の中で握られて、くしゃくしゃになってたハイライト。

オカンと繋がったヘソの緒から流れてくる悲しみに、あたしも一緒に泣いてたんかもしれん、お腹の中で。
会うことのなかった父を思って。

火葬場の煙突から昇ってく父を見上げながら、オカンは自分の恋心も高いとこへと昇っていくのが見えたって。
見上げられても、手はとどけへん遠いとこへ。

それからも、オカンに恋する人はようさんおった。
けど、オカンが恋する人はあらわれへんかった。

それにそばにはあたしがおったし。

同じ笑い方するわ
とオカンが言う、父によう似たあたしが。

時々あたしは感じるような気がする。
父の遺伝子があたしの目を通して、今でもオカンを見守ってるんを。

あたしの中に受け継がれた父のオカンへの愛情。

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#5 やっぱり、まだおる。

ようやっと気がすんだんか、ハチが戻ってきた。

ひゃぁ、
あんたドロだらけやんか

と言うあたしの声に、かえって嬉しそうにワフワフ言うてる。
愛いやつめ。

カチャンと散歩ひもを首輪につけて、帰り道につく。

ねえちゃん、ねえちゃん、
早う帰ろう、
僕、むっちゃお腹すいた

と、今度は家に向って、あたしをぐいぐい引っ張てたかと思うたら、時々ふと、立ち止まるハチ。

なんかを考えるような顔つきで、空を見上げてるハチの視線をおんなじようにたどる。

別に何が見えるわけやない。
ただ風が吹いてるだけ。
ハチには風が見えるんかな。
変わってく季節の風が。

一緒になって見上げたら時間が一瞬ゆっくりになる。

昨日の雨がうそのように透明に青い空。
白いちぎれ雲。
ハチとこうして一緒に歩いたら、いつもはセカセカ通りすぎてしもて、目に入らへんもんが見えてくることがある。

オカン、まだ起きてないやろなぁ。
捨て男、まだおったらどうしょう。

重い気持ちで、ガラガラと玄関をあける。
玄関のたたきの隅に蹴飛ばされたまま転がってる捨て男の白ワニ。

げぇ、
やっぱり、まだおる。

顔をしかめた途端に台所から捨て男が顔を出す。
一緒に流れ出てくるお味噌汁の匂い。

あんた、何してんのん?

「お帰り、
もうすぐ朝ごはん、出来るで。」

とニカッと笑う。

お帰りやと?
朝ごはんやと?
ここはあたしの家じゃ!

女の子が朝からそんな怖い顔せんと、別嬪さんが台無しやでと、ニカニカしもって玄関に出てきた捨て男。

あ、そうや!

とひらめいて、足元のハチをひょいと渡したった。
泥んこのハチ。
捨て男の赤シャツにとぶ泥の点々。

「宿賃代わり。
この子、お風呂場で洗うたって。」

暖簾の向こうの風呂場の戸を指差しながら言い捨てて、ドシドシ足音たてて台所にむかう。

ええ、何で俺なん?
まじ?

立ち往生してる捨て男の気配。
ちょっとブツブツ言うのんが聞こえたけど、あきらめたんか、
おまえ、どないしたらこんなに泥まみれになんねん
と溜息まじりにハチに話しかける声が廊下の方に消えてく。

オカンが起きたら、オカンからも言うてもらわな。
早う帰ってちょうだいて。
ほんでも、オカン、男を拾てきたん、ちゃんと覚えてるやろか。
べろんべろんに酔っ払うと時々記憶がぶっ飛びやるからなぁ。

ぶつぶつ思いながら台所に入ってったら、となりの茶の間のテーブルにオカンがもう座ってた。

え?
今、何時?

思わず時計を見る。
まだ8時半。
仕事が休み、プラス、飲みすぎ二日酔いのオカンがこんな時間におきてくるやなんて。

「月ちゃん、おはよう。」

しかも、普通の声や。
二日酔いのかすれ声とはちゃう。

目も合わさんと、オカンの声を背中で無視して、冷蔵庫から冷えたトマトジュースを出す。
これがないとあたしの朝は始まらん。

「なぁ、月ちゃん。」

テーブルからオカンが乗り出してくる気配。
背中をむけたまま流し台に手をついて、トマトジュースを一気飲み。

「月ちゃんってば、何怒ってんの。」

台所に入ってきたオカンが横に立つ。
なぁ、月ちゃんと手をつかんでくる。

もう、しゃあないなぁ
と向きなおる。

えへへへと言うみたいなオカンの顔。
ほんま、もう、
しゃあないなぁ。

「オカン、酔っ払うのはええけど、変なもん連れて帰ってくるんは、やめてくれる?」

「変なもんって?」

窓から入る日の光で元々色の薄いオカンのくるくるの髪が透けたような色になる。
毛先にとぶ朝の光。

「捨て男に決まってるやないの。」

「捨て男?
はははははは、研ちゃんのこと?」

何がおかしいねん。

「オカンが言うてんで、捨て男やって。」

「あたしそんなん言うたん? 
そんな失礼なこと?」

「ほんまや、陽子さん、失礼やで。」

声に振り向いたら、また、捨て男が台所の入り口に立ってた。
水と泥がとびちった赤シャツとニカニカ笑いで。

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#6 悔しいぐらいにおいしい

おもんない、
おもんない、
おもんないいいい。

何で、捨て男と3人で朝ごはんの食卓を囲むなあかんねん。

「だって、朝ご飯作ってくれたん、研ちゃんやないの。」


何で、捨て男があたしのTシャツ着てるねん。

「だって、研ちゃんのシャツ、どろどろのビチョビチョになってしもたやないの。」

でも、キツキツで長さ足りへんから、ヘソ毛見えてんねんけど。


何で、あたしが、日曜の朝に、どこの誰かわからん男の(しかも勝手にあたしのTシャツ着て)ヘソ毛見ながら朝ごはんを食べなあかんねぇぇぇぇん。

きしょい、
きしょい、
きしょすぎる。

言葉にせんと、目だけギロギロさせて心中のムカツキを示すあたしに、何でわかるか、ぴったりの合いの手を入れてくるオカン。
まだ見えへんヘソの緒がつながってるんかと思うのはこういう時。

あたしの不機嫌もその理由もきっとわかってて、その濃い顔にはおよそ似合わん、運動部の新入部員のような爽やかさで、

あ、ご飯おかわり?
お味噌汁は?
お茶いれなおそか?

と豆々しい捨て男。
しかも捨て男が作ったという朝ご飯は悔しいぐらいにおいしい。
ご飯の炊き加減といい、このお味噌汁といい。

何やのよ、二人して。
なんか、いつまでもムッツリしてるあたしが聞き分けのないスネ子みたいやないの。

「月ちゃん、ええ加減にしなさいよ。
だいたい研ちゃんは、つぶれてしもたあたしを送ってきてくれはってんで。」

「・・・・それは、どうも。」

くいっと、あごだけで捨て男にお辞儀の形をする。

どういたしましてと、捨て男が笑う。
口の横にくっきりと出る笑い皺。
あれっと思う。
どっかで見たよな笑い方。
そっからはなし崩し。
むっつり黙ってた分、いっぺん口がほぐれたら、ききたい事が口をつく。

「ほんで、どこで飲んでたん?」
「捨て男とはどうやって会うたん?」
「昨日の晩のこと、ちゃんと覚えてるのん?」

ちゃんと覚えてるよ、当たり前やないのと笑うオカン。
捨て男って呼んだんは覚えてへんくせにさ。
やわらかい朝の光の中、オカンがちょっと姿勢を正す。

「昨日の晩は『福耳』で研ちゃんとばったり会いました。
ふたりで一升瓶、二本もあけました。
ほんで研ちゃんが、プロポーズしてくれて、あたしは、はいっと返事しました。」

まるで用意してたようにスラスラと答えたかと思うたら、シャンとしてた肩の力をふぅっとぬいて、また、えへへ笑いのオカン。

「プロポーズ?」

声が思わず裏返る。
自分が一気に場違いな場所に来てしもたような心地の悪さ。
この人と結婚するからって言うたんは、酔っぱらいのウワゴトとちゃうかったん?

「昨日初めて会うた男から?」

カチカチのあたしの声。
黙るふたり。
いつのまにかテーブルの下に来たハチが耳をかく音。
ぽりぽりぽり。

「・・・・昨日が初めてやないもん。」

もぞもぞしながら言うオカン。

「初めて会うてからは、もう5年ぐらいかなぁ。」

これまた、もぞもぞしながらい言う捨て男。

えええええい、二人で嬉しそうにもぞもぞ、もぞもぞするんやないっ。

それに5年ってなんやの、それ。
あたし全然知らんかった。
捨て男の存在どころか、オカンにつきあうてる人がおることさえ。
5年というその長さにうちのめされる。

仲のええ母娘やと思てたのに。

ふたりっきりの家族やのに、あたしに隠し事してたんかと思うたら、不覚にも涙がにじんできた。

ううう、泣くな自分、
ええ歳こいて。

うつむいて半泣きのあたしの姿に息をつめる二人。

テーブルの下からハチがとことこ出てきた。
上空の不穏な空気を感じたんやろか。

ハチよ、
お前はあたしの味方よね。

黒い湿った鼻面をなでようとしたら、さっと身をひるがえして台所に走っていき、あっと言う間に、自分の空のエサ箱くわえてもどってきた。

ねえちゃん、
お取り込み中悪いんやけど、
飯おくれ、飯。
僕のご飯、忘れてるで。

えさ箱を前にかがんだ姿勢で上目づかいでブンブン尻尾をふるハチ。
ねえちゃん半泣きやというのに、わが愛犬よ。
いつものことながら、タイミングがええんか、悪いんか。

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#7 桃栗3年柿8年

やっとありついたご飯を美味しい、美味しいと、首ふりながら食べるハチ。

3年前のゴールデンウィークに、うちに拾われてきたんは多分生まれて4、5日やったんかな。
まだ目もあいてへんかった。

自転車置き場のダンボール箱の中で、ハチをいれて5匹のちっちゃい毛のかたまりが眠ってた。
息するのんに合わせてゆっくり上下するピンク色のお腹には、まだヘソの緒の名残みたいなんがくっついてた。

5匹の脇にはバニラアイスのカップに入れられた牛乳。
こんな、ちいちゃいのに、どうやって自分で牛乳飲めるねん。

捨てていった人間の5匹に対するおざなりの気持ちがそこに見えるようで、余計に腹が立った。
ほんまやったら今頃は、母さん犬の腕の中で、うにゅうにゅミルクを飲んでたはずやのに。

5匹ももちろん飼われへん。
ほんでも、そのまま、そこに放っておいたら、きっと一日もせんうちに死んでしまうやろう。
あたしが連れて帰っても、こんな、ちいちゃい子ら、育てへんかもしれん。
ほんでも、どうせ消えてしまうかもしれへん命やったら、ここで捨てられたまま終わってしまうより、ちょっとの間でも屋根の下、誰かに見守られた中の方がましなんとちゃうやろか。

あたしが抱えて帰ったダンボールを覗いて、オカンはウワアと声をあげた。
ウワァ、可愛いって。

5匹に名前をつけた。
桃、栗、さん吉、柿、そしてハチ。
育てへんかもしれんけど、桃栗三年柿八年、実るのんを願って、出来るだけの世話はしたかった。

獣医さんに教えてもうたとうりに、三時間おきの授乳、三時間おきのうんち。
あの年のゴールデンウィークは寝不足やった。

やっぱり無理があったんかな。
数日のうちにさん吉が旅立ち、栗もそれに続いた。
片手にすっぽりおさまるような短い生涯。

家にあるスコップで裏庭の無花果の木の根元に穴をほった。

スコップでさくさくっと、ちいちゃい穴を掘ったつもりやったのに、そおっと、その冷たくなった身体を横たえてやると、穴はがらんと大きくて、その真ん中にポツリとあまりにちいちゃすぎるその姿が悲しくて、なかなか土がかけられへんかった。

今度もし生まれかわったら、もっともっと長く生きられますようにと、手を合わせた。 
残った3匹はびっくりするほど元気にスクスク育っていった。
走って廻って転がって、ぐうぐう眠って、もみくちゃになりながら。

器量よしの桃と柿は夏になる前に新しい家族がみつかって、愛嬌だけが取り柄のハチは今もあたしらと一緒におる。

目の前のご飯が僕の人生の全てやもんねっていう勢いで食べるハチ。
その姿を横にしゃがんで見る。
元気に食べてるのんを見るだけで、こんなに幸せな気持ちになれる。

まだオカンと捨て男はテーブルで、モソモソご飯を食べてる。
何もしゃべってないんか、目と目を見合わせあってんのか、静かな二人。
好きなようにせいと思いながらも、背中で気配を探ってまう。

そこへガラガラと玄関が開く音。

「おはようさあん。」

サク婆や!
いつもは午後のお茶やのに。
今日は朝から来た。
勝手知ったるうちの家。
ごめんくださいの声もなく、玄関から台所に向かうて、歩いてくるサク婆の足音。

いやっ、どないしょう。
いやいや、何であたしがあわてなアカンねん。
ほんでも、なんや
あたふたしてまう。

「おはようさん。」

何度目かの挨拶をしながらサク婆が台所に入ってくる。
何や、月ちゃん、まだ、ジャージ着てんのんかいな、はよ着替えなさいな、おお、ハチ公 (何で年寄はみんなハチ公と呼びたがるんか)ご機嫌さんと、ハチをひと撫で。
陽ちゃん、おはようさんとお茶の間をくるっと振り向いて、サク婆、一時停止。

ひええええええ、
あたしも一緒に一時停止。

「そちらは、どなたさんですの?」

しゃがれたサク婆の声。

ああ、どうなることやらと思いながら見上げるサク婆の後ろ姿。

丁度、目の位置にサク婆の割烹着の後ろの、きっちりと結ばれたリボン結び。
そこにもサク婆の几帳面な性格が出てるような。
後ろやのに何でこんなに上手いこと結べるんやろかと、そんなことをぼんやり思うてた。

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#8 第一印象最悪かも

テーブルの片方にはオカンと捨て男。
向かいあって、あたしとサク婆。
テーブルの足元にお座りする行司のハチ。

はい、見合って、見合ってぇ。

目の前におかれた湯気立てたコーヒーからは、ええ香りが立ち昇ってるけど、だあれも口つけへん。
サク婆も額に皺いかせて、むっつり目の前のコーヒー茶碗を見てるだけ。

しゃべったら負けの我慢大会みたいやん。
そんなん参加した覚えもないのに。
棄権させてもうて、ええやろか。

さっき、サク婆の第一声、そちらはどなたさんという言葉に、オカンと捨て男がはねるように、テーブルから立ち上がった。

「こちら、服部研二さん。
もうすぐ結婚しようと思うてる人なんです。」

空気が切れそうな凛とした声でオカンが言うた。
本気の声やった。

聞いたサク婆の方は目に見えてうろが来て、腰がぬけたように椅子にへたりこんだ。

それがもう、かれこれ10分以上も前のこと。
慌てたように、あたしが台所に立ってお湯を沸かし、それが楽しみでやってくるサク婆にコーヒーをいれ、またテーブルについてもまだ、みんな黙ったまま。

ふぅぅぅぅ
と溜息をついた後、サク婆がようやく口を開いた。

「陽ちゃんと、ちょっと二人でしゃべらせてくれへんか。」

あたしらの返事も待たず、サク婆はよっこいしょと立ちあがって、すたすたと茶の間を横切り、裏庭に面したちいちゃい縁側に座りこむ。
ちょっとためらった後、オカンもそれに続いて、ぺたりとサク婆の隣に座り込む。

サク婆のきりりと結い上げた髪と、オカンの好き放題な方向を向いてるクルクルの髪の毛。
全然ちゃう二人の後姿が、外から射す光の中、おんなじ色にふちどられる。

しゃあないな。
あたしは後片付けでもして、朝風呂にでも入るか。

ノロノロとコーヒー茶碗を手にとったら、目の前の捨て男と目があうた。

そうや、こいつがまだおった。

「とりあえず帰ってもらえますか。」

「なぁ、あれがサク婆さん?」

・・・人の話しを聞いとんのか、この男は。
あたしは帰ってもらう話しをしてるねん。

「そうやけど。」

自己最高の不機嫌低音声で答える。

「いやぁ、俺、第一印象最悪かも。
俺、第一印象運ないねんなぁ、いっつも。」

かもやなくて最悪や。

だいたい、あんたの悪運の話しなんて、あたしは興味ないっ。

「でもな、二回目はばっちりやねん。
二回戦の研ちゃんって呼ばれるぐらい。」

「あのねぇ、
言わせてもらうけど、昨日の晩が初めてやとしたら、今朝これが二回目。
印象、まだ最悪やけど。」

「きっついなぁ。
顔はあんまり似てへんのに、性格はよう似てんねんな。
さすが母娘やな。」

全然こたえてそうにもないニカニカ笑いの捨て男。

「たまには、そんなこともあるねん。
でもな、野球も9回あるやろ。
その後も延長戦っていうのんがあるやんか。
俺な、粘りの研ちゃんとも呼ばれてるねん。」

ほんまに、あほか、この男。
それに、あたしはネバい男は好かん。

「まぁ、せいぜい、
コールドゲームにならんようにね。」

言い捨てて台所を出る。

「お、もしかして野球くわしい?
嬉しいなぁ。
今度一緒に甲子園行こ。」

捨て男の声が追ってくる。
オカン、この能天気な男と結婚なんて冗談やんな?
納得いかん気持ちを足にどすどすこめる。

古い廊下がミシミシきしむ。
ハチが足元にまとわりつくようについてきた。
チャカチャカチャカチャカ。

ふぅぅと浴槽に身をしずめる。
いつも朝風呂に入る。
今日は色々あったから、いつもよりちょっと遅い。
朝昼兼用風呂?
そんな言葉あるんかなぁ。

築30年の家と同じように古いお風呂。
ほんでも家事能力ゼロのオカンが唯一まめにする風呂掃除のおかげで、古くても、よく磨かれた清潔な空間。
今風の足が伸ばせるような浴槽やなく、間口がせまく深い浴槽。
ここに足を曲げて、すっぽりおさまると安心感が胸に広がる。

洗い場では尻尾をきれいに丸くまいて、お座りしたハチ。
不思議な子や。
自分がお風呂に入れられるのは大嫌いやのに、あたしのお風呂には必ずついてくる。

あたしが湯船につかったり、洗い場で身体を洗うのを、お座りしたまま、神妙な顔で見てる。
けっして広いお風呂やないから、泡や水がかかってしまうのに、それでも、置きもんのように、チンと座って見てる。

まだ、オカンとサク婆はしゃべってるんやろか。
捨て男はもう帰ったやろか。

あたしかて、オカンには幸せになってほしい。
別に死んだ父に操を立ててなんてこと、思うてない。

さっき朝ごはんの時に泣きそうになったんは、オカンが結婚することやなく、相手が捨て男やということでもなく(いや、ちょっとあるかも)、オカンが捨て男のこと、5年もの間、あたしに何にも、一言も言うてくれへんかったから。

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#9 ふたりっきりの家族

オカンの両親、つまり、あたしのおじいちゃんとおばあちゃんは、オカンが17の時に死んだ。

結婚20年の記念にふたりで旅行にいった帰り、居眠り運転のダンプにつっこまれた。
即死やった。

遺体の確認も、怖いほど何もかもが、あっと言う間に整うたお葬式も、棺に爪が食い込むほどしがみついて泣き叫ぶ自分も、信じられへんもう一人のオカンがおった。

何かのひょうしに自分はどっか間違えた世界に入りこんでしもうただけで、ほんまの世界では、とうの昔に二人とも家にもどってきてて、ああ、家がやっぱり、一番やなぁって言うおばあちゃんに、旅行に連れて行った甲斐ないなってぼやくおじいちゃん、お土産のお饅頭を食べながら、それを見て笑うオカン、そんな三人が生活してるんとちゃうやろかって。

ほんまの世界にしろ、うその世界にしろ、ひとりっきりになってしもたオカン。

あんたのお父さんと出会ってな、これからは一人やない。
お父さんと二人で生きていくんやって思うたのに、あっと言う間にまた、ひとり。
もう、どんなついてないんかと思うたわ。

でもな、
うまい事できてるなぁ、人生って。
神さんがあんたを授けてくれてはった。

もう何回聞いたかわかれへんオカンの言葉。

ふたりっきりの家族のあたしとオカンは、一ミリの隙もないほど仲がよかった。
お父さんというもんがいてなくて淋しいと思う心の入る隙もないほどに。

シングルマザーなんて言葉もない時代に、自分ひとりであたしを産もうっていうのは、どんな大きな決心やったんやろう。
ちょうど、その頃のオカンと同じ年頃になったあたしは思うてみるけど、思いの深さの淵は見えても、その底には手が届かん。
つらい事もたくさんあったはずやろうに、オカンは笑うてたな、いつも、いつでも。

細く開けた風呂場の窓から湯気が逃げてくのが見える。
両手で耳をかっぽり包んで、ぶくぶくと湯船に沈んで目を閉じる。
耳の奥でしぅぅぅぅぅぅとかすかに流れる水の音がする。
オカンのお腹の中はこんな風やったんかもしれん。

いつもやったらバスタオル一丁で風呂からあがるけど、もしやまだ捨て男がおるかもしれん。
まだ湯気が立つ身体でTシャツに腕をとおす。
湯気なのか汗なんか湿り気がうっすらTシャツににじむ。
湯気でくもった洗面台の鏡をきゅっきゅっと手で丸く拭く。

風呂上りのこの鏡に映る自分の顔が一番好き。
柔らかい顔してるから。

真っ黒のまっすぐな髪。
目尻がちょっと切れ上がった一重の目。
うすい唇。
普段はオカンに似てるってめったに言われへんあたしの顔もちょっとほどけて見える。

今日は天気ええけど、やっぱり、ちょっと寒いんかな。
素足のまま廊下に出たら、お風呂でぬくぬくになった足から、どんどん熱が逃げてく。
おお、早う部屋に戻って靴下はかなと階段を上がりかけ、やっぱり気になって、暖簾を持ち上げ、玄関をのぞく。

捨て男の白ワニもサク婆のつっかけも消えてた。

ふうううん、みんな帰ったんや。

しんと静まりかえってる。
オカンもどっか出かけたんやろか?
気配がない。

とりあえず靴下はかな。
足が冷えきってまう前に。
トントンと階段をのぼる。

ハチだけが台所に入っていった。
水飲みに。

せやからハチは見たはず。
まだ縁側にひとり座るオカンを。
両手で自分の肩をだいて、身体をゆらし、息を殺して泣いてるオカンを。

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#10 人魚姫とウニ女

センセイのひげはあたしを抱くとき、いつも少し伸びてる。
あたしがそう頼むから。
あたしに会う日はひげをそらんといてと。

ざらざらした顎があたしの唇や、肩や、わきの下やへその上にかすかに残す赤い跡。
すぐに消えてなくなるそのヒリヒリした感触が好き。

セックスは切ない。
深くつながれば、つながるほど、自分と相手はこの世で別々に生きる別々の人間やというのがわかる。
ゆれる海草みたいに指と指をからめて、胸をきつくあわせてセンセイをそこに感じる。
一瞬自分の身体の一部かと思うぐらい。

あたしの中心に近く深くなるセンセイの身体。
でも、けして一緒にはなることはない。
人間はやっぱりどんな時もひとり。

えらいお嬢ちゃん、今日はおとなしなぁ。
ベッドに腹ばいになってセンセイが笑う。

あたしがお嬢ちゃんって呼ばれるんが好きやって知ってるセンセイ。
センセイはあたしの好きなことを見つける才能がある。

あたしはいっつもおとなしいですけどと、センセイの背中にあごを乗せる。
ヒンヤリした背中。
不思議な感触。
身体をあわせてる時ですら、ヒンヤリしているその背中。

いつも穏やかなセンセイ。
こういうことになってもう2年近くなるけど、センセイを取り巻く温度は変わることがない。
いつも常温。
それは安らかなことなんか、さびしいことなんか。

来た時にはしわひとつなかった真っ白なシーツを波立たせるように胸に抱え込む。
ぐるぐると寝返りをうつ。
両足がシーツに囚われる。

「人魚みたいやな、そうしてたら。」

ごろごろ転がるあたしから逃げるように起き上がったセンセイが言う。

ほら、やっぱりセンセイはあたしの好きなもんを見つけるんが上手。
ちいちゃい時、シンデレラより、白雪姫より憧れた、長い長い碧の髪をもった人魚姫。
人魚姫の恋は悲しく終わる。

センセイもいつか終わるんかな。
その時、泡になって消えんのは何なんやろう。

シーツに包まれた足をバタバタはねさせる。
水を打つみたいに。

センセイとオカンは一緒に働いてる。
いや、正確に言うと、センセイに雇うてもうてる。
20年以上も前、看護師としてオカンが働きだした病院にセンセイもいてた。

「陽子ちゃんは、いっつも、さばさば、きびきびしててなぁ。
白衣の天使いうより、白衣の戦士やったわ。」

とセンセイからきいたことがある。
オカンらしい。

センセイが5年前に自分のクリニックを始めた時に誘われて、それまでいた病院を辞めてそこで勤め始めたオカン。
あの二人はできてたんかと、前おった病院ではえらい噂になったらしいけど。
そんな事あるわけないと笑うセンセイやけど。

ほんまかな?
センセイはオカンをずっと好きやったんとちゃうんかな。
叶わんまま、今日まで来て、オカンを思う気持ちが、あたしの中のオカンを求めて、あたしと始めてしもたんとちゃうんかな。

今日も時々、あたしを通して違う誰かを見ようとしてるようなテーブル越しのセンセイの目。
何を見てんのん?
センセイの目に映るあたしを反対に覗き込む。

木目のテーブルの上には薄々と、花びらを思わせるような鯛の薄造り。
そえられた酢橘をしぼりかけ、お醤油をちょんもり付けて口に運ぶ。
あわあわと繊細な花びらのような見かけとは違う、ふちに歯ごたえを感じる鯛のしなやかな身。
ああ、美味しい。

「今日もええ顔して食べてるな。」

きりりと冷えた冷酒をあたしの猪口にそそぎながらセンセイが笑う。
飲んでるのはあたしだけ。
車のセンセイの猪口には氷水。
気分だけでも月ちゃんにつきあうわって言うて。

いつも女将が塗りのお盆の中にずらりと猪口を並べて、自分の好きなんを選ばせてくれる。
センセイのいつも選ぶんは、ぽってりと、気泡もとじこめられてるような厚手の猪口。
あたしは当てた唇が切れそうな薄いガラスの猪口。
僕がもったら壊れそうでこわいとセンセイが言うような。
壊れそうな綺麗なもんが愛おしい。

「うちのお母さん、結婚するらしい。」

出来るだけ普通に言うたつもりやけど、空気がちょっと固くなったんがわかる。

「え?」

と聞き返した形のままのセンセイの口。
とまった口元にセンセイの気持ちがゆれてんる気持ちが見えるみたい。
滅多に見ることのないセンセイの温度のたゆたい。

「やっぱりショック?」

追いかけて棘をのばしてみる。

「え、なんで僕?
ショックは月子ちゃんの方やろ。」

あ、つまらん。
もういつもの温度に戻ってしもうた。

センセイの口の横にくっきり浮かんだ笑い皺を見ながら、自分にきく。

ショックヤッタン?

ショックという言葉の、どっかにぶつかって跳ね返されたような響きと、今朝、並んで座るオカンと捨て男を前に感じた気持ちとは何か違うような気がする。

「ショックっていうのんとは、ちょっとちゃうかも。
何か悔しいような妙な気分。」

手元の猪口のふちを指でなぞる。

「そら、びっくりしたけどさ。」

頭をちょっとふる。
ショックとびっくりって、どうちゃうねんやろうと自分でも思うけど。

「月子ちゃんは、ほんまにお母さんのこと好きなんやな。」

あたしに向けるセンセイのまろい目。

「センセイも、うちのお母さんのこと好きなくせに。」

センセイの柔らかい空気を今日は何でか、突付きたくて、また棘がのびる。
こんなん人魚どころかウニ女や。

「もちろん、好きやで。
月子ちゃんのお母さんやからね。」

ウニ女の棘をすんなりかわすセンセイ。
これが年の功というもんか。
憎らしい。
憎らしくて恋しい。

「反対ちゃう?
あたしがお母さんの娘やからつきあうてるんとちゃうのん?」

今まで何回もききたくて、きかれへんかった事が、今日はいきなり口からこぼれた。

「ほんまはセンセイが好きなんはお母さんで、あたしはその代わりなんとちゃうのん?」

センセイ、黙ってしもた。
どんな時もゆるく流れてるセンセイの空気が止まったみたい。

その顔をじいっと見る。
あたしとセンセイの周りだけ変に静か。
何かがこわれた後の静けさか、何かがこわれる前の静けさか。

「わかってくれてるんやと思うてたけど」

ついと、テーブル越しに伸ばしてきたセンセイの手が、頬にふれる。
そこからまた時間が動きはじめる。

ウニ女の棘がゆるむ。

ゆるんで揺れてる棘をもてあましながら、思う。

センセイが、わかってくれてると思うてたことって何やろう。
あたしがほんまにわかってることって、何やろう。

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#11 繋いでた指先

話しが変な方に行ってしもたから、肝心のことがきけてないまま、車に乗りこむ。
柔らかいけどヒンヤリした革のシートはセンセイの感触に似てる。

後ろに流れてく夜の繁華街のネオン。
少し前を走ってたトレーラーがゆらりと車線を変えた。
深海魚が身をくねらせるみたいに。

ずっとずっと光の帯が続くように見える環状線。
ほんでも、ずっと走り続ける車はない。
それぞれの道を走って、ほんでいつかはみんな止まる時がくる。

「うちのお母さん、最近、どんな様子やった?」

そう、これをほんまは訊こうと思うてたのに。

カーステのスイッチに灯るグリーンの光だけの薄暗い車内。
そってないヒゲがセンセイの輪郭を濃くしてる。

「ううううん、特に変わったとこなかったけどなぁ。
いつもの陽子ちゃん。」

少し首をひねって言うセンセイ。

「なんや、ウキウキしてたとか?」

なんかこれという返事がほしくて畳み掛けるあたし。

「陽子ちゃん、いっつも、ばか明るいからなぁ。」

・・・・確かに。

「ほんだら、最近、ちょっと綺麗になったかなぁとか?」

「陽子ちゃん、元々、別嬪さんの部類やし。」

なんや、暖簾に腕押しみたいな会話。
イライラするなぁ、もう。

「それより、相手はどこのどいつやのん。」

どこのどいつ・・・・
やっぱりセンセイ、気になってるんやん。

「全然わからんねん。
なんか安ういチンピラみたいな格好して。
昨日が会うたん初めてやし、捨て男と。」

今度はあたしが暖簾になる。

「ステオ?
何じゃそりゃ。」
 
「捨てられてたん拾うてきたって、お母さんが言うてんもん。」

顎をちょっと反らせてセンセイが短く笑う。
きれいな喉の線。

ほんまの名前はなんやったけ。
二回戦の研ちゃんとかって言うてたなぁ。
ええと・・
あ、そうや!

「服部研二」

記憶の焦点がおうたんに声がはずむ。

「ハットリケンジ・・・服部さんなぁ。
なんか聞いた事あるなぁ。」

今度はハンドルを握ったセンセイが、合いそうで合えへん焦点を探してるみたい。

あたしも目の前のフロントガラスの向こうに意味もなく目をこらしてみる。
前の車のテールランプ。
ぶつからんように灯してるはずやのに、見てると吸い込まれそうになってく赤い光。

急にばしっと音がしてフロントガラスに水滴が飛ぶ。
え、雨?
思うまもなく、大粒の水滴がどんどんフロントガラスに飛んでくる。
水の銃弾あびてるみたい。
前からバチバチうちつけて来る。
当たってはにじみ、当たってはにじみ、その合間の一瞬の視界のために、
ちゃかちゃかと左右に動くワイパー。
メトロノームみたいに。
雨のリズムを測るみたいに。

「ごっつい雨になってきたなぁ。
今日は家の前まで送っていくわ。」

センセイの手がふと伸びてきて、あたしの手を探す。
手のひらをすくあげるように受け止めて、指をからめる。
冷たい指先があつく熱をもち始める。

いつもは家のすぐそば、高速道路の高架下のトンネルの手前でセンセイの車をおりる。
トンネルをくぐりきったとこから振り向いたら、それを見届けたセンセイの車が夜の中に消えてく。
あちら側にセンセイとおった女の顔のあたしも一緒に消えていって、
あたしは現実の空気の中にもどってく、娘の顔で。

オカンはセンセイとあたしがつきあうてることは知ってる。
別に反対もされてへん・・・っていうか、むしろそれを喜んでる風。

そやけど、まだ未だにセンセイがうちの家に来たことはない。
こんな風に会うた帰りに
じゃぁ、ちょっと上がってお茶でも
と誘うたこともない。

オカンはいつでも連れておいでえなって言うねんけど。
見たないねん。
センセイとオカンが一緒にいるとこを。

センセイのほんまに好きなんはオカンっていう自分の中の想像が、目の前でほんまの形になるんが怖い。

家の近くにくるまでに、雨、ちょっとはましになればええのに、ほんだらいつもの高架の手前で、
やっぱり、ここでええよって車おりられんねんけど。

あたしの気持ちをよそに、ますます強まる雨足。
いつもよりスピードを落としたセンセイの運転やのに、あっと言う間に家のすぐそばまで来てしもた。

いつもは歩いて通るトンネルを車で通る。
ああ、こちら側に来てしまいはった。
これでセンセイとの綺麗な夢の中のような時間もちがう色になってしまうんやろか。
その感触を確かめるように、さっきから繋いでた指先にキュッと力をこめる。

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#12 いきなり、ひとつ屋根の下?

オレンジがかった玄関灯の下にぶらさがってる表札。
濃い茶色の焼き板の上に、うちの名字とその下にようこ、つきこと白木の板をくりぬいて作った平仮名がならんでる。
つきこの下には太字のマジックで付け足されたハチの名前。
小学校の時にオカンと一緒にいった子供会のキャンプで作った表札。
下手くそやし、色があせてぶさいくやのに、未だにそこにある。
風でちょっとゆれてるそれをセンセイが見てる。

家の前で車がとまった時、ほな、ありがとうって言うかわりに、まだ早いし、あがってお茶でもと言うた自分の声にびっくりした。
そう言ったあたしの頭に浮かんでたんは、肩を並べて笑ってる今朝のオカンと捨て男の姿。母親やなくて女の顔で笑うてたオカン。

センセイはそう言われるんがわかってたみたいに、ほんならちょっとだけと、いつものゆるい動作で車のエンジンを止めた。

「これ月ちゃんが、作ったん?」

表札をつつきながらセンセイがきく。
そうやと、頷いたら、

「かいらしなぁ。」

とあたしを見る目元がゆるむ。
この人とおると、ほんまに自分が可愛いもんのような気持ちになってしまう。
あんまりにも簡単にゆるむ自分の気持ちを持て余して、ちょっと乱暴に引き戸をあける。
ただいまぁ。

いつものように、上がり框できちんとお座りしてあたしをお迎えするハチ。
ぶんぶんお尻尾ふって。
おぉ、よしよし、ハチの頭に手をさしのべながら入った玄関で足がこおる。
たたきにドッテリ横たわる白ワニ。

しかも

「おう、お帰りっ。」

と台所から顔を出したんは、その飼い主の捨て男。
 
何で。

「何で、またここにいてんのん。」

どうも捨て男にやと、頭の中の言葉がそのまま口から出る。

「何でって、僕、今日からこの家にお世話になることになってん。」

ヘラヘラと笑いながら玄関に出てくる。
またもや真っ赤なシャツ。
テカテカのリーゼント。

「はぁぁあぁ?」

なんですと?
それは、まさかここに住むってことやないやろね?
いきなり現れて、結婚っていうだけでも充分びっくりしてんのに。
一緒に住む??
いきなり、捨て男とひとつ屋根の下??
あかん、あかん、あっかいな。

拒否り全開、どん引きのあたしにまるで構わずニッカリ笑う捨て男。

「よろしくね、月ちゃん」

馴れ馴れしく月ちゃんって呼ぶな。
図々しくて無神経。
ほんま、すかんたこ。
こんな奴と一緒の家に住むなんて絶対いややと、オカンに言うたらなあかん。
ちょっと、そこどいてっと目の前の捨て男を突き飛ばすように玄関にあがろうとしたら、
「あ、こちらは月ちゃんのお客さん?」

捨て男の視線が、あたしの後ろに動く。
そうや、センセイも一緒やったんや。
捨て男に気ぃとられて、一瞬その存在がとんでしもてた。

「あ、はじめまして。村上です。」

センセイがいつもの柔らかい空気のまま、ちょっと頭を下げる。
いつものごとく常温のセンセイ。
ふうん。

「あ、もしかして陽子さんの勤めてるクリニックの先生ですか?
いやー、お会いできて嬉しいです、僕。」

こちらは温度が高い捨て男。
いきなりの捨て男の熱さにセンセイちょっと、たじろいた?

僕は今日は遠慮しといた方がええかなと帰る気配をみせたセンセイに、

「いやいや、そんな折角やのに遠慮せんといてください。」

と答えたのは、あたしやのうて捨て男。

あんたが言うなよ。
まるで自分の家みたいにっ。

気にいらん光線をバシバシにとばしてるあたしなんて全然目に入ってへんように、捨て男がいそいそとお客さん用のスリッパを並べる。
負けずにあたしも脇にさがって、どうぞ、どうぞと手でしめす。
なんや旅館の息のあうた番頭と仲居のような捨て男とあたし。
やな感じ。
とってもやな感じ。

「ほんだら、ちょっとだけ。」

と玄関にあがったセンセイに、あたしも続く。

先生の背中。
シャツの右の肩先が濡れてる。
車から玄関までほんの数歩の距離やったけど、左側のあたしをかばって傘をかたむけてくれてたから。
雨と一緒にセンセイの優しいとこがシャツににじんでる。

ちょっと散らかってるけど、どうぞと、先に立って暖簾をくぐる。
後ろから、大丈夫やで、僕が片付けといたしと、追ってくる捨て男の声。
ほんまに一言多いねん。

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#13 一足先に春爛漫

茶の間に入ったけどオカンの姿がない。

あれ?
お母さんは?
いてないの?

そら電話も入れんと突然センセイ連れて戻ってきたけど、おるもんやと思うてたのに。
ちょっと責めるような口調のあたしに

「酒屋さんにシャンぺン買いにいってる。」

と顔を崩す捨て男。

シャンペン?
こんな雨の中?
なにゆえにシャンペン?

「陽子さん、今日から一緒に住み始めるお祝いしょうって言うて。」

さらに嬉しそうに笑う捨て男。
口のわきの笑い皺が深くなる。

・・・・つまらん。
あたしにとっちゃ、これっぽっちもおめでたくないねんけど。

ふと見ると、テーブルの上に並んだ酒の肴たち。
しかも、かなり美味しそうな。
ツヤツヤに光るふきの煮たん、きれいな緑の春菊のお浸し、天ぷらはタラの芽かな?
よう味がしゅんでそうな若竹煮。
このおぼろ昆布と和えてある白身のお魚は何やろ?

「それは、鯛の昆布しめや。」

あたしの視線を読んだ捨て男が言う。

へぇー、しめ鯛って食べたことないわ。
テーブルの上は一足先に春爛漫。
なんて美味しそう。

・・・美味しそうなんはええけどさ、この料理どっから来たん?
うちのオカンは自慢やないが家事能力ゼロ。
その中でも料理は最悪。
あたしはサク婆のご飯で育ったようなもんやもん。
うちのお袋の味はサク婆の手料理。
と言うて、このへんの市場にはこんな洒落たお惣菜なんて売ってへんもんな。

もしかして・・・口に出すのがこわいけど

「これ、もしかして捨て男が作ったん?」

「うん、まあな。」

く、くやしい。
あたしの中で捨て男の点数が、ちょっと上がってしもた。
オカンが料理をせんぶん、美味しい料理を食べさせてくれそうな人間というのに弱いあたし。

「捨て男、もしかして、まさか、板前さん?」

「捨て男って呼ばんといてえなあ。
研二さん、いや、月ちゃんやから研ちゃんでええよ。」

あたしも研ちゃんって呼ばへんねんから、あたしのことも月ちゃんって呼ばんといてほしいと言う気持ちをこめて再度きく。

「捨て男さんは、板前さんなんですか?」

どないしても、月ちゃん、俺のこと捨て男って呼びたいねんな。
まぁ、ええわと笑いながら、

「板さんやってたんはずうっと前。
おとといまでは家政婦やってた。」

「か、家政婦ぅ?」

何で家政婦なん?

「うん、住み込みで。」

悪びれたふうもなく笑う捨て男。

「まぁ、立ち話もなんやし、座ってしゃべろうな。
さぁ、さぁ、月ちゃんも村上先生も座って、座って。」

なんや、すっかり捨て男のペースで、あたしらはテーブルにつく。
陽子さん、もうすぐ帰ってくると思うから、食前酒でも飲んで待っとこかと、捨て男がすっかり馴染んだ様子で台所に入っていき、冷蔵庫から何かを出してくる。

「かぼす酒。さっぱりしてて中々いけるで。」

テーブルに置かれた水差しの中のほのかに淡い薄緑色。

「いや、僕は車なんで。」
 
とセンセイが手をふる。

「あたしも今日はもうだいぶ飲んだんで。」

とあたしもそれにつづく。

ええ、二人とも飲まへんのん?
と残念そうな捨て男の前で、まるで汗かくみたいに、水差しのつるんとしたガラスの表面に見る間にふるふると水滴がわいてきた。

アルコールがあかんかったらと、これまた手際よく捨て男が運んできたお茶。
お番茶の中に塩昆布とくだいた梅干が入ってる。
一口飲んで、思わず美味しいと口から出たあたしに、飲んだ後はこれが一番やと捨て男。
ふむ、性格は絶対あいそうにもないけど、味覚はあうんかも。

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#14 お通夜みたいな顔して

「ほんで、ほんまに家政婦してたん?」

実はさっきの話のつづきが気になってたあたし。

「うん、ほんま。」

僕も陽子さんが帰ってくるまではお茶にしとこと、番茶をすする捨て男。
両手で包んだお湯飲みに目をおとしもって。
バシバシの睫毛が作る影。

「ふうん。ホストでもしてんのかと思うた。」

「え、俺、そんな格好ええかな。」

思いっきり嫌味の先制パンチのつもりやったのに全然効いてへんみたい。

「ちゃうよ、その格好。
どう見ても使いっぱしりのチンピラかホストにしか見えへんもん。」

へっへー、言うたった。

「ああ、これ。
これは俺の趣味とちゃうよ。
家政婦してた先のおばあはんの趣味。
おばあはん、ジェームス・ディーンの大ファンやってん。
ジェームス・ディーンいうたら、赤いシャツにリーゼントやろ?」

住み込みの家政婦してて、その雇い主はおばあさんで、そのおばあさんの趣味で赤シャツにリーゼントやったん??
それって、
「それって、ほんまはツバメとちゃうのん。」

「おいおい、月ちゃん。」

それまで横で黙ってきいてたセンセイがたしなめるような声を出す。

「いや、ええんです。
先生。
そうきかはる人多かったし。」

両手の中の番茶を一口すすって、ふうと息をつく捨て男。

「おばあはん、先週亡くなったんですけどね。
死んだら急に集まってきはったおばあはんの孫やら親戚やらに、財産目当てのツバメやと思われたみたいで、ほんで追い出されたんですわ。
おばあはんに住み込みの家政婦がいてるとは知ってたみたいやけど、まさか男やとは誰も思うてなかったみたいでね。
おまけにこんな格好してるし。
まぁ、でも、おばあはんが好きやった格好やし。
初七日までは、この格好しとこうかと思てね。
俺、他に供養らしい供養もできへんし。」

茶の間の電気の下、テラテラ波打つシャツの赤い色。

「俺ね、悔しかったんですわ、ほんま。
いや、ツバメに間違われたことやなくてね。
おばあはんがどんな風に暮らしてたんか、知らんかったんやないかって思てね。
生きてる間はみんな知らんふりで、死んでしもてからワラワラ寄ってきたってもう、話しもできへんのにね。」

話しの継ぎ目になると外の雨音が急に近くに聞こえる。
テーブルの下ではアゴまで床にぺったりつけて腹ばいになってるハチが時々ならす尻尾の音。ぱたぱたぱた。相槌みたいに。

「つらい話しやな。」

センセイがぽっそり言う。

「・・・つらかったですわ。
色んなことが。
なんでまた死に目に会わんならんのかとも思てね。」

死に目。
嫌な言葉。

大きすぎる氷を飲み込んだときみたいに、すうっと身体の中を冷たいもんがおりていく。
「他にも近しい人が亡くなりはったん?」

きいたらアカン事かもしれんと思いながら、またという言葉の影に引きずられて、きいてしまう。

「うん。うちのおじいはんがな、もう5年ほど前やけど。」

ちょっとの間。

「俺が死なせたようなもんや。」

と、ちいちゃい息をつくように捨て男が言うた。
お湯飲みを持ってた手にぎゅうっと力が入ってた。

また強なった外の雨の音。
ザアザアザア。

ハチが急にテーブルの下からとび出てきて、はねるように玄関に向かう。
あ、オカンが帰ってきたんかな。

飼い主が言うのもなんやけど、ちょっと抜けたとこのあるハチ。
散歩中に猫にふぅぅぅっとされて、きゅうんと尻尾を巻くあかんたれな犬。
他の家に貰われていった桃や柿なんかは、小さいながらもきりっとしてたけど、ハチは何やぼさあっとしてたもんなぁ。
悪戯を見つかっても、あたしがコラァと叫ぶ前に逃げてまう桃と柿に取り残されて、ハチだけがいっつも怒られてた。

唯一、犬らしいキリッとしたとこ言うたら、こうやってどんな時も遠くから帰ってくるあたしとオカンを玄関できっちりお座りで待っててくれるとこ。
かわいい、かわいいうちのハチ。

ひゃぁぁぁ、ほんま、えらい雨やったわぁと賑やかな声を出しながらオカンが帰宅。
足元に尻尾ぶんぶん振ってまとわりつくハチ。

「何やの、みんなでお通夜みたいな顔して。」

お茶の間に入ってきたオカンの第一声。
能天気なんか鋭いんか、わからんわ、ほんま。

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#15 前途を祝して

おおおお、すごいご馳走。
これ研ちゃんが作ったん?
ほんま、ええ婿さん見つけたわ、あたし
と、お茶の間にコロコロひびくオカンの声。

もう冷えてんのん買うてきたから、
さあさあ、みんなで乾杯しましょ
とグラスを出してくる。

センセイが僕は車やからと断ってんのに、
お祝いやないの、
固いこと言わんと、
ほらっ
と、グラスを無理やりもたせる。

一同席についたとこでオカン、コホンと咳払い。

「では、あたしと研ちゃんの前途を祝して、かんぱ~い!」

グラスを高々とあげる。
乾杯なんかしたないけど、しぶしぶグラスを上げるあたし。

それにしても、へんなの。
普通、他の人が前途を祝してあげなあかんのんとちゃうのん?
自分で祝してやるし。
まぁ、いつものオカンのペースか。

「ほんで、みんなで辛気臭い顔して何の話しをしとったん?」

「僕が若いつばめをしてた時の話しとかね。」

と捨て男。

「はっはぁ~。
研ちゃん、そんな風に見えるもんなぁ。
男前やし。」

オカンますます上機嫌。


二人並んでたらよう似合うてるよ。
美男美女で。
それも濃い顔の。」

とセンセイがまぜ返す。

その横顔をちら見したけど、全然いつもといっしょ。
いつものセンセイの温度。
いつものセンセイのゆるい空気。

「そう言う二人もお似合いやよ。」

あたしとセンセイを見比べてオカンが言う。

げ、こっちにふられたら恥ずかしい。
お尻がムズムズするような。

「先生もクリニックにおる時となんか雰囲気ちゃうし。
無精ひげなんか生やして色っぽいやないの。」

わちゃあ、すごいところをついてくるオカン。

「僕かて、デートの時ぐらい色気だしますよ。」

センセイ、サラッとかわしてくれたけど、あたしは顔がほてってきたかも。
それに気づいてるんか、気づいてないんか、ウフフと笑うオカン。

「嬉しいわぁ。
先生がうちに来てくれはったやなんて。」

キラキラ光るオカンの目。

「母親としては、なんかね、心配やったの。
月ちゃんの彼氏やのに家に挨拶にも来えへんやなんて。
ちゃんとつきあうてるんやろかって。」

「ちゃんとつきあうてますよ。」

なぁ、月ちゃんとセンセイがあたしに目を流す。
恥ずかしさがまだとれへんまま、淡くうなづくあたし。
そうか、あたしとセンセイはちゃんとつきあうてたんか。
前で何や言いたそうな顔でニヤニヤしてる捨て男。

では、研ちゃんの初の手料理をいただくとしますかとオカンがお箸をとる。
若竹煮の筍をスッと口に運んだかと思うと、ほっぺたに手を当ててとろけるような笑顔。
「美味しいわぁぁぁぁ。研ちゃん。」

「愛情こもってますからね。」

と、オカンのその姿を見て、さらにとろけるように笑み崩れる捨て男。

ひゃぁ、やってられんわ。
この二人。

ううん、でも確かに美味しそう。
あたしも思わず筍に箸をのばす。

お、美味しい!
口の中に広がる春の青い味。
笑顔になってまう。

「ほんま、カエルの子はカエルなんか、カエルの母もカエルなんか、母娘そろって、美味しいもん食べる時は、ほんま、ええ顔するなぁ。」

とセンセイが感心した声で言う。

「そんなん、あたりまえやん、章ちゃん。
美味しいもん食べたら美味しい顔になって。」

あ、オカン、センセイのこと名前で呼んだ。
なんか、小ちゃい小ちゃい小骨が喉にささったような気分。
むせるほどやないけど、飲みこんだらヒリヒリと痛むよな。

そんな、あたしのしょうもない引っかかりなど気づかんオカンは、上機嫌キープで、ええピッチでグラスを空け、ぱくぱくと音がしそうな勢いで料理を口に運ぶ。

「俺もね、陽子さんのこの食べっぷりに、まず、いかれてしもたんですわ。」

と自分は箸に手をつけんと、もっぱらオカンが食べるのを眺めながら捨て男が言う。

「俺、元々、板さんやってたでしょう。
食べるときにこんな幸せそうな顔してもうたら、板さん冥利につきるなって思うてね。」
「それ、わかるわ。」

と、センセイが合いの手を入れる。

「まぁ、僕の場合は、僕が作るわけやないけどね。
月ちゃんが美味しそうに食べてるとこみたら、自分が幸せにしたげたみたいで、嬉しなるねん。」

なんか、不思議な感じがした。
誰かにあたしのことを話すセンセイというのを見たことなかったから。
見知らぬ人が見知らぬあたしのことを話してるみたい。
ほんでも嬉しかった。
そんな風に思うてくれてたんやと思うと。
あたしはセンセイのどこを見てたんやろ。

車やしとか、明日は仕事やしとか、飲みすぎやしとかいう色んな言い訳を、オカンがそのたんびに、なぎ倒しなぎ倒し、シャンパンの次は、捨て男特製かぼす酒も飲み干し、その次はワインやと日曜の晩やのに大宴会の雰囲気になってきた。

そのうち捨て男が、かくし芸やというて、かぼす5つを見事にジャグリングしだし、センセイも掛布や岡田や真弓のあたしが見てもようわからん野球の物真似をしだし(ちなみに2年の間でセンセイがあんなに酔うたんみたんは初めて)オカンはそれを見てひたすら笑い、部屋に満ち満ちたハイな空気はハチにも感染したんか、みんなの間をクルクル走り回り、時折、ワンッと短く吠えた。僕も仲間に入れてえなとでも言うように。

窓の外では相変わらず雨がだだ降りで、雨のケープにあたしらのおるとこがスッポリ包まれてしもたみたい。

何か、この世にあたしらだけが取り残されたような幸せな隔絶感。

あの夜のことを思い出すたび、乾杯のシャンパンを思い出す。
はじけては、ゆっくり昇って消えてく泡。
みんな、よう笑うて、泡々としたひと時。
綺麗けどいつかは消えていく時。

思えば、あたしらが一番幸せやったのはあの晩やったんかもしれん。

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#16 馴染まれへん

翌朝。

雨戸を開けると、またしても嘘のような快晴。

あたしは大分寝過ごしたらしい。
はたと枕元の目を覚まし時計を見たらもう10時。
やばいっ
と、はね起きたけど、そこにハチの姿はない。

あれ?

9時を過ぎたりしたらハチの、ねえちゃん起きてえ起きてえ攻撃にあうてしもて、オチオチ寝てられへんはずやねんけどな。
ぼんやりした頭をふる。
そこに残ったアルコールをふりきるように。

部屋の入り口から顔を出して、ハチを呼ぶ。
気配がない。
廊下に自分の声だけが頼りなくぽかりと浮かぶ。

ハチー、ハッちゃんやー
と焦った気持ちを声に出しながら、階段をばたばたとおりる。
どこにおるんやろ。
台所かな。

台所に入っていって、その片付きように目をみはる。
昨日の晩の気配すらないように、すっきりと片付いたテーブル。
ぴかぴかの流し台。
いつもの台所というより調理場のよう。
元板さんと言うてた捨て男の気配をそこに感じる。

たった一日やのにあたしとオカンの二人暮しに違う人間が入ってきたというのが見える。
昨日の晩に捨て男の顔をみた時ほどの嫌悪感はないけど、すんなりは馴染まれへん違和感。

ハチは裏庭におった。
捨て男と一緒に。

捨て男に首を羽交い絞めにされて、頭をわしゃわしゃ撫でられて、お尻尾ぶんぶん振ってる。
真っ黒な毛が光で茶色く透けてみえる。
スルッと捨て男をかわして、まだ昨日の雨が残ってる地面をとびまわるハチ。
ドロのはねが捨て男にとぶ。
また、ドロドロになったやんけーと笑いながら、またハチをつかまえようとする捨て男。

茶の間ごしに見える光に包まれた光景。
何か声がかけづらい。
ハチがあたしに全然気づかへんのも気にいらん。

ぷいっと台所を出ていこうとしたら、後ろから捨て男の声につかまえられた。

「月ちゃん、おはようさあん。」 

気づかれてしもたか。
しぶしぶ振り向いて、おはようと言う代わりにちょっと手をあげる。

あ、ねえちゃんや!
とハチが縁側方にトテテテテと走ってくる。
ピンクのベロをハッハッと見せて笑い顔になってる。

うう。
この顔には負ける。
もう、しゃないなぁ。
近づいていって、頭をなでる。
気持ちよさそうに目を細めるハチ。
ぽかぽかと陽だまりにあっためられたオデコ。

「こいつ結構賢いなぁ。」

そんなハチから目を離さずに捨て男が言う。

「月ちゃんが中々起きへんみたいやと思うたら、
散歩ひもくわえて、俺んとこに来たわ。」

へ~え、
オカンにもそんな事したことないのにな、ハチ。
でも、ってことは、

「散歩に行ってくれたん?」

「あ、うん。
散歩というより、ついて行っただけみたいなもんやったけどな。
どこ行ったらええんやろって思う間もなく、こいつがグイグイ引っ張ってくれたわ。」

散歩にしても、ついてったにしても、その格好やったら、さぞ周りの目をひいたやろなぁ。
あ、もしかして、サク婆にも会うてもうた?
昨日はヘソ出しTシャツ。
今日は赤シャツ。
サク婆には刺激が強すぎる。

「サク婆は?
出しなに会えへんかった?」

「ああ、いてはった。いてはった。
今日の昼はお好み持ってきてくれるって言うてはったで。」

サク婆のお好み焼き。
それは天下一品。
そこいらの店で食べるよりよっぽど美味しい。
オカンとあたしの大好物。
でも、オカンが仕事でおらん平日に焼いてきてくれるやなんて、珍しい。
しかも捨て男がおるんわかってるのに。
というより、もしかして捨て男がおるからか。

昨日、オカンとは何か話ししてたみたいやけど、捨て男とはほとんど話してないみたいやったし。
捨て男がどんな人間か、サク婆、さぐりに来るんかも。

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#17 迫真の演技

サク婆は優しくて厳しい。
町内の人はみんなサク婆が好き。
そのどんぐり目はいっつも真っ直ぐにものを見、人を見る。

父の百か日がすんだ頃、父とオカンがその頃住んでたアパートの大家が訪ねてきた。
せり出したお腹をベルトの上にのせ、脂ぎった顔で何かというとお金の話しばかりするこの大家がオカンは苦手やった。

最初は、遠まわしに出ていってくれと話を切り出してきた。
ここは家族や夫婦向けのアパートなんでねと。
ちょっと目立ちだしたお腹を押さえながら、いえ、私も来年子供ができるんで、そしたら、家族暮らしになりますからと答えるオカンを大家はふんと鼻で笑うたようやった。

世間をよう知らんみたいやなぁとドラマで言うようなセリフを吐いたかと思うと、今度はそのえくぼができそうなぶよぶよした手でオカンの手をいきなり引き寄せた。
ねちこい目でオカンの顔とお腹を見比べながら、よかったらわしの世話になれへんか。
ここは家内の目もあるから、他にアパート借りたる。
あ、子供は面倒やから、流してしもたらええと、オカンの耳に流れこんできた汚物のような言葉。

触らんといてっという声と一緒に、思いもかけず強い力でオカンに突き飛ばされた大家が、何や人が親切で言うてんのにと顔を真っ赤にして出ていった。
ドアを叩きつけるようにして。

もうこのアパートにはおられへん。

二十歳で頼れる身寄りもなく、日に日に大きくなっていくお腹を抱えて、オカンは途方にくれた。
父が残してくれたいくらかの貯金はあっても、仕事も住むところもない。
不動産屋をめぐっても、無職、保証人なし、おまけに独り身やのにどうも腹ボテらしい20の娘に部屋を紹介してくれるとこはなかった。

いっぺんだけな、地下鉄のホームに立って思うたことあったわ。
轢かれたら痛いかなぁって。
痛いけど色んな心配せんでもええようになるかなぁってとオカンがその頃のことをそう話す。
いっつも笑顔で、陽だまりのようなオカンにさした一瞬の影。
でも、その影のおかげでオカンはサク婆と出会うた。

オカンはほんまに電車にとびこもうなんて思うてなかったって言うんやけど、地下鉄のホームに立つオカンの姿はサク婆の目には間際の人間にうつったらしい。

なんて言うんやろ、身体の輪郭が薄うなってなぁ、ぼおっと目が泳いでしもて、ゆうらゆうら揺れてたんやでとサク婆は言う。

オカンからほんのすぐ側で電車が来るんを待ってたサク婆は、こらまずいと咄嗟に思うた。
この娘の気を何とかそらさなアカンと、いきなりイタタタタと大仰な声をあげて腰を押さえもって、その場にしゃがみこんだサク婆。
はじかれたように目の焦点が合うたオカンが駆け寄って、大丈夫ですか、もうすぐ電車が来るから、ここでしゃがんでたら危ないですよと、サク婆をかかえるように立たせて駅のベンチまで連れてった。
腰なんて全然痛ないのに、よろよろ歩いて、ほんまに迫真の演技やったわと今でも二人で笑う。

びっくりして喉が渇いたとオカンがホームの売店で買うてきたフルーツ牛乳を二人で並んで飲む。
腰だいじょうぶですかと言うオカンの問いに、私の腰よりあんたの方が電車にでもとびこみそうな顔しとったでとサク婆。
え、そんなんちっともという言葉とは裏腹に、オカンの顔がクシャクシャとゆがむ。

いきなり子供のように泣き出したオカン。
最愛の旦那、一生の伴侶と思うた人と一緒になって3ヶ月足らずで死に別れてしもたこと、アパートを出ていかなあかんこと、不動産屋を何軒もまわったけど、どっこも相手にされんこと。
そんなことをしゃくりあげながらオカンは話した。

ずっと黙ってきいてたサク婆が、ベンチからいきなりスクッと立って言うた。

「とりあえず、うちにおいで。」

言葉にもびっくりしたけど、てっきりギックリ腰でもおこしたと思うた人が、飲みおわった牛乳瓶をスタスタとしっかりした足取りで売店に返しに行くのに、オカンはなんか笑うてしもたらしい。
笑いながら言われるがままにオカンはサク婆についていき。
その次の次の日には引っ越した。
今のこの家に。
とりあえずのはずがもう25年になる。

今サク婆が住んでんのは元はうちと同じ敷地内にあった離れ。
あたしらが元母屋に住んでサク婆が元離れに住んでることになる。
私ら母娘は離れで十分ですというオカンの言葉にも、あたしはゆくゆくはお父ちゃんとここで隠居するつもりやったからとサク婆は譲れへんかったらしい。

そのお父ちゃんと呼ばれるサク婆の旦那さんは、オカンとサク婆が出会うほんの一年ほど前に亡くなったとこで、淋しいもん同士が引きあうたんかなぁとこれも二人がよう言うセリフ。

サク婆が最初の子供を身籠ったとき、お父ちゃんはひっくり返って喜んで、すぐに庭に離れを建てだした。
子供の家族に母屋に住ませて、離れはわしらの隠居用やって言うて。
まだ産まれもしてへん子供に何を言うてんのとサク婆は笑ったけど、その言葉が悪かったんか、その赤ちゃんは産まれてくることなく流れてしもた。
悲しみにくれる二人のとこにまた生命が授かったのはその二年後。
予定よりも二ヶ月も早く生まれてきた、ちいちゃいちいちゃい女の子やった。
ガラス越しのそのちいちゃい命を祈る思いで毎日見守る二人の前で、その子は産まれてからひと月にもならない短い生涯をひっそりと終えた。

それからはずっと二人暮しやったサク婆とお父ちゃん。
そのお父ちゃんもついに彼岸の人となってしまい、砂で出来た大きな穴が、ふちから崩れてどんどん広がっていくような寂しさに、埋もれてしまいそうになってた時やった。

はじめは母屋に一緒に住んでたけど、あたしが生まれて、無事にお宮参りもすんでしばらく後に、これであたしも安心して隠居できるわと、サク婆は離れにうつって行った。
その時一緒に母屋と離れを区切る形ばかりの生垣もできた。

陽ちゃん、まだ若いし、自分の生活もあるやろうと気をきかせすぎたサク婆の考えで。
それは気のまわしすぎやった。
オカンが誰か男の人をつれてきたことなんて一回もなかったから。
ずっと25年近くもの間。

おととい、捨て男を拾てくるまでは。

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#18 弁慶の泣き所

その25年ぶりのオカンの恋人は、台所で甲斐甲斐しく朝ごはんをテーブルに並べてる。
炊き立てのごはん、お味噌汁、納豆、シャケの塩焼きに、だし巻き卵。
ちょっとした旅館の朝ごはんみたい。
くやしいけど、また捨て男の点数が上がる。

節操のないあたしの胃袋よ。

捨て男と向かいあい、いただきますと手をあわせる。
熱々の味噌汁をすすり、つやつやに光るご飯にきゅうりのお漬物をそえて食べる。
ぱりぽり。
美味しい。
ちょうどええ漬かりよう。
自家製らしいお漬物。
うち糠床なんてないのに、どうやって作ったんやろ。

「これ、どうやって漬けたん?」

きゅうりをお箸にはさんで捨て男にきく。

「マイ糠床持ってきたもん。」

指差す先には、なるほど、小ぶりやけど年季の入ってそうな漬物樽。
こんな格好して、漬物樽持ってきたんかと思うと可笑しい。

「うちのおじいはんの形見や。」

と捨て男。

ちょっと二日酔いのもやのかかった頭に昨日の晩のことが浮かぶ。
捨て男のおじいさん。
何か、僕のせいで死んでしもたとか、そんなことを言うてへんかったっけ?
聞いてもええんやろか?

「おじいちゃん、何で亡くなりはったん?」

やっぱり聞いてもうた。

「え?陽子さんから聞いてないのん?」

とちょっと意外そうな捨て男。

聞いてるも何も、あたし、捨て男の存在すらおとといまで知らんかったのに。

「だって、つきあうてる人がいてるのんも知らんかったもん。」

「ああ、だって、つきあうてなかったもん。」

しらっと笑顔で言う捨て男。

何、何、何?
つきあうてなかったん?

「え、でも、昨日は知り合うて5年ぐらいって言うてたやん。」

「ああ、それはただの知り合いや。
もちろん俺は・・・いや、僕は初めて会った時から陽子さんのこと、ええなぁって思うてたし。
会うたんびにくどいてたけど、全然相手にされてる感じやなかったしなぁ。」

箸でアカンアカンのゼスチャーをする捨て男。
ほんで、いきなり結婚、いきなり同居ってどういうことなん?
二日酔いの頭には、さばききれへんねんけど。

「・・・・俺もびっくりした。
一昨日の晩、陽子さんが、はい、結婚しましょって言うたとき。」

どうなったんやろ、オカン。
年下男の熱についにほだされた?
あのオカンが?
首をひねるあたしの前で、まぁ、俺の魅力についに陽子さんも気づいてくれたってことかなと能天気に笑う捨て男。
ますます説得力なし。

捨て男のおじいちゃんの話しをしてたのに、話しがそれてしもた。
もう一回はききにくい。

それに、まだ湯気の立つ朝の幸せを並べたようなテーブルごしの捨て男は、これまた幸せそうに笑うてて、きっと辛い話であろう話は別に今せんでもええかと思うたり。

もぐもぐ、ぱくぱくと、テーブルの上の幸せが胃袋におさまっていく音がひびく。

「あ、そうや、ハチのご飯もこれから俺が作るわ。
ドッグフードばっかりやったら身体にようないで。」

と思い出したように捨て男が言う。

・・・なんかハチへのあたしの愛情にケチつけられたみたい。

「でも、そのドックフード、獣医さんがすすめてくれはったやつやもん。」

声にとげとげが出る。
ハチはあたしの弁慶の泣き所。

「いくら獣医さんがすすめはっても、缶詰やんか。
犬かて出来たてのご飯食べたいよ。」

そう言われたら返す言葉ない。

「今日、散歩にいったときも、なんかちょっと具合悪そうやったし。」

え?
具合が悪い?
気持ちがザワザワ波立つ。

ハチはほんまに、あたしの弁慶の泣き所。
テーブルの下をのぞきこむ。
ゴロンと寝転んで、さっき風呂場で洗うてもうた前足を、口元にもってきて、ぺろぺろなめてる。
いつもの平和なハチ。
それでも

「どんな風に具合悪そうやったん?」

と聞く声に不安がにじむ。

「ううん、何かちょっと、おしっこが出にくそうな感じやった。
ぴょんと足をあげんのにほとんど出えへんねん。」

昨日の朝は普通に見えたけどなぁ。
夜はオカンが散歩につれてったはずやけど、どうやってんやろ。

「いやいや、そんな心配せんでも。
俺と散歩行くのん初めてやから、何か緊張しとったんかもしれんしな。」

そうかなあ、それやったらええんやけど。
もう一度テーブルの下を覗き込む。

ねえちゃん、どうしたん?
という風にハチが顔をあげる。
いつものあたしを見上げるおだやかな目に少しほっとする。

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#19 一日延ばしに

後片付けはすると言うたけど、俺、他に仕事ないからと頑として譲れへん捨て男に負ける。
そう言うたら、あたしも仕事ないねんけど。
いつもの朝風呂に向かいながら、もやもやした気分になる。

仕事もせず、家のこともする人がでてきて、あたしはここで何をしてるんやろうという罪悪感のような、取り残され感のような。
あたしは捨て男のことほとんど何にも知らんけど、平日にあたしが何をするでもなく家におることを、何にも聞いてけえへんってことは、あたしのことはオカンから聞いてるんやろうなぁ。

まだ服を脱いだら薄く鳥肌が立つような空気の中をあわててお風呂場に入ってゆく。
ハチも慌ててつづく。
浴槽に身をしずめると、しゅうううううと色んな力がぬけていく。
水にとけていくんか、水があたしをとけさせるんか。

お湯の中で手のひらを握ったり、開いたり。
自分の身体がお湯を通して別の形みたいに見える。

閉ざされた空間で自分の好きなもん、都合のええもんだけに囲まれてすぎていく毎日。
それもいつかは終わらせなあかんとわかってんのに、一日延ばしにしてるあたし。

一年前までは働いてた。
毎朝7時におきて、8時5分の地下鉄で毎日会社に通うてた。

仕事中は厳しいけど、面倒見のええ先輩たちと、普段はおっとりしてそうに見えんのに、ここぞという時には目を見張るほどの統率力を発揮する上司とに囲まれて、同じように新卒で他の会社に就職した同級生が職場の愚痴を言うのを聞く度に、ああ、あたしは恵まれた職場に就職できてんなと思うてた。

そう、あの人が来るまでは。

その人は東京の本社から単身赴任してきた。
はじめましてと挨拶された時は、えらい線の細い人やなぁという印象しかなかった。